最後のアジト




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最後のアジトact.2 「企業戦士にいわしのメロディーを」

いわしの存在はある性癖の持ち主にとっては重要だ。例えば暑いですねとかワールドカップ終って寂しいとか
夏はやっぱりビールでしょうなどと書き始めるのが普通だろう。しかしチンピラ詩人であるカオルは
社交辞令がヘタだし嫌いなのでこんな感じになる。いわしは愛すべき戦友のひとりで決して徒党を組まず
誰にも似てない唄をうたう。いわしは道玄坂にある店でアダルトビデオを売る。
森林浴や晩酌レベルじゃ癒されない奇妙な趣味を持った人々にとってそこは最後のアジト。
同名のイベントを定期的に首謀するチンピラ詩人カオルはその気高さに拍手し手本とする。 
最近白戸三平の漫画「カムイ」を読み返した。いつの時代も支配者は庶民を苦しめ搾取した金で
悪趣味な壺を飾るものなんだな。
かつてロックンローラは叫んでいた。「愛と平和そして自由を!」と。
でも自殺者より餓死者の方が絶対少ない渋谷の街を歩いていると誰もが幸せそうに見える。
少なくとも不自由には見えないぜ。体制も反体制も合コンのように仲良しだ。
数年後にはコンビニやネットオークションで愛も平和も買えるはずだ。いやもう売ってるのかもしれないな。
我々は血を流さずして自由を手に入れたのだ。ラッキー。ちょと待て。思う壺じゃねえか。
発泡酒とか宝くじや公営競馬でお手軽な快楽と引換えに
年貢をむしり取られてる場合じゃねえぞ。消毒された愛の歌をカラオケったり
世界中と友達になれるネットサービスで孤独を癒したフリしたって悩みは尽きないぞ。
悪趣味な壺も思う壺も叩きこわすべきだ。一説によれば最前線の兵士は自殺しないし鬱病にもならないそうだ。
鬱病経験者のチンピラ詩人カオルもあっさり同感だ。確かに戦ってるとそんな暇はない。
特に自分の中の敵と戦ってる時はな。武器を持たない我々庶民の対抗手段は文化だ。サブカルチャーだ。
隠れ家でこっそり作られる都々逸やロックだ。その昔偉大なる画家ピカソがそう語り
オレが許可も得ず勝手に言いふらしている。そして最後のアジトとは明日も戦えるような
勇気とエネルギーを補充する場所。
救われたいとか悩みを解決して欲しいなどの虫のいい人は宗教や精神科の扉を叩きなさい。
言い忘れたがいわしの店の名は文化堂という。