最後のアジト




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最後のアジトact.3 「テロリスト達に愛の消しゴム爆弾を」

オレが小学生の頃はひとつの学習机を隣の人と分け合って使うのが普通だった。
1クラス45人いれば机は23個あり割切れないひとりだけが机を独占できた。
そしてどの机にも真中辺りに赤鉛筆やカッターで歪んだ境界線が必ず刻まれていた。
仲良し同士が隣なら問題ないが逆の場合この境界線は紛争の火種となる。「お前ノートこっちの陣地入ってるぞ」
「そっちの定規もさっき出てた」「一瞬だろ?こんなにはみ出てない」「ちょっと押さないでよ」
「あっそんなに強く押してないぞ」「一回は一回」その報復合戦は教師に強制的に止められるか
どちらかが怪我をするか泣き出すまで続く。なんか戦争と似ている。例のテロ事件から9/11で1年。
結局誰も幸せにならなかった気がする。誰かが言った通り暴力は憎しみと新たなる暴力しか生まなかった。
浅草の商店街にはとんでもないセンスの服ばかり売っている店があり実際それを着てる人もいる。
パンクを騒音と感じる人もいれば安全ピンをピアスにする人もいる。タリバンの味方もいるし
どんな無名のアイドルにも必ずファンはいる。その全員に言い分があり自分が正しいと思っている。
全世界が仲良くなるなんて無理とは言わないがかなり難しい。
お互いの価値観を認め合えなんてそんなに簡単なもんじゃないだろう。じゃあどうする。オレは思う。我慢だ。
生理的に許せない価値観でもその存在を我慢する。そして想像する。
「自分の存在や価値観が誰かにとっては生理的に許せないもであるかもしれない」と。お互い様だ。だから我慢。
愛と平和はそんな我慢によって成り立つとチンピラ詩人カオルは断言する。
ついでにもうひとつ断言するが世界から地雷が消えても困る人はいないだろうし誰だって
仲間や子供が殺されるのは見たくないはずだ。
オレ達は他の価値観と揉めた時でも爆弾と地雷は無しでがんばるしかない。
しかし我慢はストレスが溜まる。
だから同じ価値観の仲間が集まる最後のアジトでオレ達はうっぷんを晴らすのだ。うん。
ちょっと綺麗事っぽい気もするがここまではいい。
だが「最後のアジトが武力攻撃をされた時どうするか」という質問には恥ずかしながら言葉を詰まらせるしかない。
かつてオレの消しゴム爆弾によってまぶたを切ったあの娘の涙を思いだし
もう二度と繰り返したくはないと思ってはいるのだけど。