Down Road
レコーディング日記




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  レコーディング日記5 「曲をカタル2」
   

5 カンケリ

つくったのは去年かな?
はじめに最後の部分ができた。
メロディーを適当に口ずさむ。
自然に「だったら」になった。

詩を書くのだけれどなんかリズムがしっくりこない。
じゃあ素直に「だったら」にしよう。
しかし。
なにがどう「だったら」なのだろう。

そうやって全体をつくった。

この曲のコーラスワークはマリさんにやってもらった。
基本的にオレもヒロPも「見てるだけ」だった。
「かっくいいー」「すげー」とオレは満面笑みで
ヒロPもはしゃぎたいのだけれど
「プロデューサーという肩書きと任務」があるので
じっとこらえていたカンジがナイスであった。

ちなみに録音の前夜エンジニア青木は
「胃が痛くなって仮病を使おうかと想った」らしい。

 

6 特別な日

酒を飲んでいる頃につくったと想う。
(オレはよく「飲んでいた頃」と表現する。
 読んで下さっている方はしつこいよと感じるかもしれないけれど
 ある意味カオルの人生は「断酒後」からはじまったのですまぬ)

さらさらと詩も曲もできたからか
オレの中では「佳作 脇役」という印象の強い曲。
だけれど多くのヒトが愛してくれる曲。

途中でエレピの鍵盤に爪が当たる音が録音されている。
唄もピアノも同時に録音したからだ。
すごく気に入っている曲のひとつ。

 

7 月並み

この曲は最初3拍子でサビが4拍子になる。
意図的にじゃない。

オレは「歌詞は誤解も含めて聴き手の解釈は自由」と想っている。
だから歌詞のイメージが限定されるようなコトは書かないようにしている。

特にこの曲はそうかな。

以前映像をつけて発売したのだけれど
映像自体が「イメージの限定になる」と想って在庫を捨ててしまった。

どうしても録音したかった曲のひとつ。

 

8 スイートじゃない

自分で弾いたギターが好きだ。
ストリングスも「カオル専用ピアノ」の音。

歌詞のすごく「肝心なところ」をまちがえて唄っていて
オレはまったく気がつかなかった。
せいどーが発見してくれた気がする。

この曲は「リンダのアンサーソングにしよう」と。

9 アシタのアタシ

原曲はすでに廃盤の「カオル裏DVD盗賊盤」の
「社交辞令は最低のコミュニケーション」という曲だ。

どの曲もそうなのだけれど
特にこの曲は「ヒロシマジック」が素晴らしい。
はっきり覚えていないのだけれど
「コーラスワークやいろいろ」はヒロPのアイデアだ。
残り時間がラスト10分ぐらいに最後の「にぎやかしパート」を。
「悪くないんですが。コトバが欲しいです」
オレは「遊び心のフレーズ」を唄った。

余談。
最初のサビはもうひと回しあった。
だけれどギターを録音した時に「今回のサイズ」を弾いてしまった。
結果的によかった。

10 不自由の女神

マリさんのコーラスは1曲の予定だったのだけれど
オレがムリを言って唄ってもらった。
ある箇所をマリさんが4行唄ってくれている。
だが。
ヒロPは使わなかった。
「あれはマリさんのカオル用のオミヤゲですよ。
 あそこのパートだけしか使いません」と。

この曲がいちばん唄える自信がなかった。
唄入れの直前にせいどーが「凛として朗々と唄って」と。
細かいところはいろいろあるけれど気に入っている。

11 21世紀狂詩曲#2

この曲については歌詞カードを読んで欲しい。

ヒロシプロデューサーは「この曲はぜんぶ使うつもりはない」と。
当初は「曲を二分割して最初と最後に」だった。
オレは悩んだ。
ずっと悩んでいた。
オレは「それは避けたいが代案がない」と想った。
とにかく「歌詞に対する意見」をオレは素直に受け入れた。

そしてミックスダウンの最後の最後の時間に
歌詞の8割りを捨てて新しく書き足してサイズを短くした。
(元々の「21世紀狂詩曲#1」は少しだけ収録した)
「解釈を変えて書き直したから
 泣きの1回をやらせてください」と懇願をしたのがこれだ。

ミックスの奥行きがとても好きだ。

 

曲順や曲間の秒数はすべてヒロPにおまかせした。
オレがそれをやったら果てしないことになっていたはずだ。

今回のレコーディングは
率直に「カオルの音楽的スキルの未熟さ」を思い知った。
すごく楽しかったし興奮していた。
限られた時間の中で精一杯やれた。
だけれど「これからがスタートだ」という気持ちも大きい。

自分ではそこそこ「けっこういい詩を書けるじゃんか」と
慢心をしていたけれど「そうでもねー」だと認めた。
そういったコトをはじめ「自分で気がついた」という収穫も
副産物ではあるけれど「レコーディングの成果」だと想う。

レコーディングのチャンスは少ない。
また数年後にはCDというメディアがなくなっているかもしれない。
時代はいつだってクールだ。

だけど。
「ライブ」だけは。
音楽を生で現場で唄ったり聴いたりはなくならないと想うし
またそうであって欲しいと切に願う。
我々音楽に携わる人間が
「CDとは違うライブでしか味わえない素敵な音楽。
 ユーチューブではダメで生じゃないと意味がないステージ」
これを意識しないと。

3流のシンガーは自分のために唄う
2流のシンガーはお客のために唄う
1流のシンガーは「その曲」のために唄う

最後に。
CDの裏面のいわゆる「注意書き」をふざけてみた。

おわり。
(もしかしたら番外編を)

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