新しい可能性のためのエチュード




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02 奇妙な一日〜ストレンジデイズ


10月にしてはかなり寒い夜だった。
渦巻くように雨が降っている。
路上灯の光に照らし出される雨は異常発生した羽虫のようだ。
風が吹いているのだが「どの方向」から吹いているのかわからない。
強い風だ。傘は役に立たないどころかむしろ邪魔だった。
オレは傘を捨てて冷たくなった手をポケットに突っ込んで歩くことにした。
タバコが無性に吸いたいがあきらめるしかないだろう。

「オンナとの別れ話」に想ったより時間がかかってしまい終電車に乗り遅れた。
タクシーで帰ろうかなと考えたが車を待つ「無口な行列」を見てやめようと想った。
なんだかその行列は以前観た戦争映画の「収容所に強制連行される人々」のようだったから。
たかだか3駅だ。1時間ぐらいで帰れるだろう。
それにオンナと別れた夜にタクシーに乗るのはなんだか「不公平」な気がするし。

そんな訳でオレは暴風雨の中薄暗い国道沿いの道をうなだれて歩いている。

どんどんカラダが冷えてくる。ヨコハマの路上で遭難しそうだ。
暖かいコーヒーが飲みたい。大嫌いなカボチャのスープでもいい。
やっぱりタクシーを拾おうか。でもポケットから手を出すのも面倒だ。
それにしてもオンナはなぜ最後まで静かに微笑んでくれたのだろうか。
「泊まっていけば」とも言ってくれたしな。

しかし寒い。冬山をさまよっているようだ。歩いているヤツなんかいない。
よい子はみんな暖かいベッドで暖かい夢を見ているんだ。
ママのおとぎ話を聴きながら眠るんだ。「はい今夜はここまで。続きは明日ね」
身体中ずぶ濡れだ。でもシャワーが恋しい。タバコが吸いたい。
やっぱり傘を捨てなければよかったのだろうか。
泊まっていけばよかったのだろう。アイツはいつも「正しいこと」しか言わなかったな。
強風にあおられて電線がヒュルンヒュルンとうなっている。
強制的に不安な気分にさせられる音だ。コドモなら泣いちゃうぜ。「お化けが来るよ」
疲れてきた。つま先が冷たくてジンジンする。
でもあと15分ぐらいでアパートにたどり着くから。
だけど気力が凍り付いてきた。マジで死んでしまうかもしれない。
雨が目に刺さる。靴の中には水が溜まっている。
しかしオレはなにをやっているんだ?
オレが凍えていることを「誰も知らない」のだ。
そう想ったらとてつもなく悲しい気分になった。
オレはなにをやってるんだろう。

お。黄色く光る看板が見える。何屋さんだろう。なんでもいい。
しかしあの辺りに「何かの店」なんかあったけ?まあいい。時代は加速している。
あそこで休もう。コンビニならトイレでタバコを吸っちまえばいい。
とにかくそこまでがんばろう。きっと親切な老夫婦が住んでいるんだ。
「旅のヒト。今夜はもっとひどい嵐になる。遠慮せずに泊まっていきな」

店のドアを開けた。
とてつもなく暖かい。
もう動けない。
早く座りたい。

「デニーズへようこそ。お一人様ですか?」
別世界で作られデジタル制御された妖精のような声だ。

「あ。さっき。オンナと。別れ。たばかりだから。ひとり。だ。
 アパートには。猫が。いるけど」
クチビルがかじかんでうまく喋れない。

「お煙草はお吸いになりますか?」
「さっきから。そのことばかり。考えていた。
 でも外はすごい。雨だから。吸えなかった。
 オレはタバコを。吸いたい」
「かしこまりました。喫煙席ですね。
 お席の方ご用意してきますので少々お待ちください」

もう待てないと言おうとしたがさっさとデジタル妖精店員はお席のご用意へ。
オレはポケットからタバコを取り出す。しかしびしょ濡れてぐずぐずのゴミになってる。
自動販売機でタバコを買おうとしたが軽いタバコしか売ってない。
仕方ない。いちばん強うそうなのにしてフィルターをもぎ取って吸えばいい。

「大変お待たせしました。こちらへどうぞ」
オレはフラフラと妖精のあとについていく。
やっと座れた。

「ご注文がお決まりになりましたらお席のボタンで御呼びください」
「あ。コーヒーを。熱いヤツ。砂糖もミルクもいらない」
「かしこまりました。ドリンクバーですね。
 あちらの方になりますのでご自由にお選びください」
「ドリンクバー?違うよ。熱いコーヒーだ。もう歩けない」
「ドリンクバーにはホットコーヒーもご用意させていただいてます」

セブンスターのフィルターをちぎりタバコに火をつけた。
煙を深く吸い込む。そしてゆっくりと吐き出す。
悪くない。
ドリンクバーでもなんでもいい。
座れてタバコが吸えただけマシだ。
どうせ朝がくればこの場所は妖精や狐たちの遊んだ足跡や
泥饅頭の残骸であふれているに違いない。
今夜は雨が降っていて見えなかったけど「満月の夜」だし。中秋の名月?
とにかく狐や狸が大はしゃぎするには絶好の夜だ。
コーヒーだろうがカシスジュースだろうがきっと鶴見川の汚れた水なんだろう。
このメニューや伝票も木の葉で出来ているはずだ。ずっと昔からそう決まっているんだ。

周りに座っている変な髪型や分厚い化粧をして大声で笑っているニンゲン達は
「化けるのがヘタな新米の魑魅魍魎」なんだろう。
だいたいオレの頼りない記憶によれば「デニーズ」には「ドリンクバー」はない。
詰めが甘いぜ。子狐よ。

結局オレは鶴見川の水を2杯飲み勘定を払い
妖精と狐たちに「ありがとうございました〜」と見送られながら店を出た。
どうせ誰もが化けたり騙したり騙されたりして暮らしているんだ。
オレはオンナを騙してきたし今夜オレは狐に化かされた。
信者は騙され政治家は偽装したり隠そうとしたりそんなのが21世紀の世の中なんだ。
詐欺師は新しい手口で正直者を騙しそのだまし取ったカネをキャバクラ嬢に貢ぐのだ。

ブツブツ文句を言いながらの帰り道はあっという間だった。

アパートのドアの前に別れたオンナが待っていた。
「本当に歩いて帰ったのね。ずぶ濡れになって。
 まるで鶴見川で泳いできたみたいね。可哀想」
コレを返すの忘れたからと彼女は「合鍵」でオレの部屋のドアを開けた。
タクシーで来たの。こんな天気だから乗るのに時間がかかったわ。
長い行列で。みんな震えててね。なんだか「死刑の順番待ち」みたいだったわ。

いろんな表現がある。

シャワーを浴びた。小便がしたくなったのでそのまました。
石けんを塗りたくりながら「ストレンジデイズ」のメロディーを口ずさんだ。

〜おとぎ話のような奇妙な一日 罠を仕掛けて 罠にはまった
 誰もが口裏を合わせている オレはストレンジャー 〜

風呂から出るとタオルが用意されていた。
テーブルの上には熱いコーヒーとオレの好きなタバコが2箱。
別れたオンナか猫の仕業だろう。それとも「共同作戦」かもしれないな。
ストレンジデイズ。

「合鍵なんかさ。送りゃあよかったじゃんか」
「コレは大切なモノでしょう。『なんでもかんでも信用するな』って
 あなたがいつも言っていることよ」
「まあそうだけど。警察も保険屋もアテになんない」
「わたしは逢いたかったの。あなたがびしょ濡れになってるんだと想ったら
 とても逢いたくなったの。それに助けてもらったお礼もちゃんと言いたかったし」
「助けた?オレはそんなことしてないぞ」
「いいの。うまく話せそうにないしきっと長くなるから」
オレはコーヒーを飲んだ。すでに少し冷めていたけどちゃんとしたコーヒーの味がした。

「泊まってくだろ?」
「いいの?」
「よくわからん。でも感謝している」
「アタシのパジャマはまだ捨ててない?」
「ああ。オレは何もしてないよ」
「じゃあ着替えるから。ふすま閉めるね。
 バタバタ出てきたからシャワーも借りるね。
 恥ずかしいから絶対に見ないでね」
「ああ」
「先に眠っていてもいいのよ」
「ああ」

彼女は静かにふすまを閉めた。
蛍光灯のヒモをカチャッと2回引っ張る音が聞こえた。
そしてサラサラと服を脱ぐしなやかでセクシーな音が聞こえた。
助けたお礼?

オレはベッドに寝転んでタバコに火をつけた。
猫は閉じられたふすまの方をじっと見つめている。
それはまるで「不思議な鳥」を見るような目つきだった。
そう。例えば「鶴」のような優しい鳥を。

おわり。
   
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