その他/「鬱病についてのカオル私的な意見」 その1

 
 
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「鬱病についてのカオル私的な意見」 その1

「Q&A」コーナーに「うつの克服法は?」というのが複数来ている。
オレがブログのタイトルを「(元)鬱病詩人」に変更したり
日記やメルマガで「オレは最近元気だぞ」と書いているからかもしれない。
 
かなり長くなりそうなので「Q&A」のスペースでは足りないと想い
「気紛れ連載」をするコトにした。
 
最初に断っておくがオレは「医者」ではなく「まだ患者」であるというコト。
そして「うつ」と言っても様々な症状や原因があるので
オレの文章が「万人に当てはまる 役に立つ」という訳ではない。
ひょっとしたら「逆効果」の場合だってある。
さらにオレは現在は「好調な日々」が多いのだが
またなにかのきっかけで「うつの状態」になる可能性もある。
 
そんな不安定な人間が「鬱について」と語るのは
けっこう「偉そうだな」とも考えたが
自分の体験が誰かの役に立つ可能性があるかもしれないと想いペンをとった。
念を押すがオレは医者ではない。患者だ。
「うつについての医学界の定説」も日々更新されていく。
あくまでも「カオルという個人のうつ体験」である。
オレが体験した「症状 状況 有効だったコト つらかったコト」を
なるべくありのままに記そうと。
 
 
結論を先に言えば
「自分が信用できる精神科医を探し治療の方向性を相談し
 クスリやカウンセリングを繰り返し社会的援助なども利用して
 自分で『がんばる』しかない」とオレは考えている。
 
一般的に「鬱のヒトにがんばるというコトバは禁句」と言われている。
それはよくわかっている。
オレは「病気でつらいのにムリしてオーバーワーク」という意味の
「がんばれ」は禁句だしグロテスクだし悪化させる要因になると想う。
 
それでもあえて「がんばるしかない」と言うのは
「自分はうつという苦しい状態から快復したい」
という「意志を持ち続ける」の意味においてだけである。
医者やクスリや仲間などの「助け 杖」は必要だ。
しかし「歩きたい」という意志がなければムリだと想う。
奇跡は簡単には起きないし
祈らなければ神は救わないだろう。
(まあ祈っても救ってくれない神の方が多いのだけれど)
 
克服法の1。
「自分はこの苦しい状態から解放されたい。また笑いたい」という
「意志」を持つこと。
「医者がなんとかしてくれる」という考えはダメだ。
もちろん「クスリがなんとかしてくれる。これさえあれば」もダメだ。
「医者の話を聞いてクスリをもらう」コトより
その場所まで「自力でたどり着く」というのが大事だ。
「自力で行く」のは「意志」の表れだ。
 
しつこく言うが「病院に通い続ける」というのが大切で
「医者のコトバ クスリ」は付録だ。
「予約の時間に遅刻したけれどタクシーにも乗ったけれど行った」
うつの状態がヒドい時は「それだけで充分に使命を果たした」と想っていい。
「オマエはうつがヒドいのに
 自分でタクシー拾って病院に行ったのか。すごいなあ。
 もう今日1日の任務は完了だな。ゆっくり休もう」とオレは言うぞ。
 
そしてこれは最も重要なポイントだとオレは考えるのだが
「なぜ自分はうつになんかなったのか。不幸だ」という
「犯人探し 自己憐憫」の感情を捨てること。
(これは長くなる。また詳しく「私見」を述べる)
 
「病は気から」と言うが
「気が病んでる場合はどうすりゃいいんじゃ?」の「壁」は非常に高い。
オレはこの問題は「医者じゃないから知らないぞ」と放り出す。
とにかくオレは「犯人探し」に膨大で無益な時間を費やした。
犯人などいなかった。シャカイでも父親でも自分でもなかった。
 
ちなみにオレは上記の「感覚」を身につけられたかなと
実感できるまでに丸7年かかった。
 
続ける。
 
オレの「精神科の診断書」によれば
「病名 アルコール依存症  症状 抑うつ」とある。
オレの場合はうつは「オマケ」みたいなカンジだ。
断酒して7年目になるのだが「依存症」という自覚は根深くある。
「依存症」についてはいずれ書く。
とりあえずみなさんには「カオルのうつは依存症の副作用」みたいに
便宜上想ってもらえればいい。
 
オレは過去に3回「半年以上の強いうつ状態」になった。
学説では「セロトニンの代謝異常」と言われているが
そんなもの目に見えるわけでもないし
「風邪40度の熱」のようにメーターがある訳でもない。
でも「本当に動けなくなる」し「悲観的なことしか考えられない」になる。
でも「根性が足りない 怠け者だ」と言われたりもする。言い返せない。
確かにその境目は限りなく曖昧だ。
そして「カオルと同程度の鬱状態」でも
「家族のため」などで仕事を続けているヒトもいる。
医者によっても診断の基準やクスリの処方はかなり違う。
「鬱病の断定」も難しいだろうが
「なにをもって完治」というのも難しいと想う。
 
オレの「3度の鬱での共通点」は
「虚無感 死に対する憧れ 対人関係(誰とも逢いたくない)
 興味や好奇心の喪失 無感情 無感覚 自己嫌悪」だった。
 
オレは7年前まで毎晩酒を飲んでいた。かなりの量を。
経済的にも肉体的にも対人関係にもよいコトはまったくなかった。
暴言 記憶喪失 遅刻 破壊 体調不良 約束破棄。
酒の唯一の利点は「ストレスを発散できた」というコトだけだ。
しかし「断酒」によってその手軽なストレス解消の選択肢は消えた。
当然ストレスは溜まる。
そして「酒で隠れていた鬱」が表面化した。
 
「持続的なストレス 緊張」に対して
「同等の健全なストレス解消法」が出来ないタイプが
うつなどの精神的疾患になりやすのではないかとオレは推測している。
 
「人と喋ることで発散」できる人もいれば
「人と話すことがストレス」という人もいる。
例えば「おしゃべり大好きおばさん」と「苦手おばさん」が長話を。
前者は家に帰り台所で鼻歌まじりに料理を作るだろうし
後者はため息をついて帰りながら「今日の献立」にストレスを感じる。
もう「家事もなにもかも放棄して寝たい」と想う。
そしてそんな日に限って「旦那の機嫌が悪い」だったりする。
後者の人は「愚痴を聞かされたストレス」を発散する方法を探そう。
旦那に打ち明けても冷たかったら
家事なんか放り出してカウンセリングに行ったり日帰りで旅行に行こう。
本格的な「うつ」になったら「話し合いや旅行の元気」も確実になくなる。
 
克服法2
いま自分が「日々なんとなく続けている役目 義務」が
「やりがい 生き甲斐」なら続ければいいし
「負担 プレッシャー」なら放り投げてしまえばいい。
人と話すのが苦手なヒトは「そうしなくてもいい状況」を探す。
楽しい時間を増やす。
それがムリなら苦しい時間を減らす。
「自分の抱え切れない病気や性格」を正直に話して
それで「めんどくさい 嫌われる」とかの相手なんか付合うことはない。
「世間体」とよくいうが「じゃあ世間がオレたちになにをしてくれるのだ」と。
「化粧をすると仕事モードで気分が引き締まる」人は化粧をすればいい。
でも「もっと寝てたい。でも化粧しなきゃ」がストレスになる。
どうしてそんなストレスなコトをするんだ?
部長や同僚が嫌みを言うのか?
そんなレベルのヤツと「まともに付合うと消耗するだけ」だぞ。
 
 
オレはライブハウスに5年勤めていたが
その間に酒量は「ものすごい曲線で右肩上がり」だった。
過去にオレは「鼓膜を破いた」コトがあって
その時に医者に言われたのだが「特定の周波数に過敏」らしい。
これは「音楽的によい耳を持っている」のとは少し違う。
「ノイズばかり拾う高感度アンテナ付き」だと想ってくれればよい。
 
ライブハウスの事務所は防音がされていなくて
電話で話す時は「片耳を塞がないとダメ」だった。
「爆音の中で電話で大声で喋る。
 カオルの趣味に合わない音楽がほとんど」という環境。
これは出演してくれたバンドの名誉のために言うが
彼らの音楽が悪かったのではなく「カオルの偏った趣味」が原因。
終演後は各バンドとミーティング。
疲れる。脳の中に「ストレスの実体」があるような気分になる。
 
「過敏さ」を「マヒ」させるためにオレは酒に依存した。
後半は安定剤や睡眠薬をかじりながら飲んでいた。
酒と競争して勝ったヤツはいない。
先に肉体が壊れ幻覚幻聴の日々。強制入院。強制断酒。
 
病院でもブザーや時計の音が気になる。
誰かのぼそぼそした話し声やモーターのうなる音が耳に張り付く。
でも「酒」はない。
体力もないから動けないし
「酔った勢いでの事件」がリアルによみがえり自己嫌悪になる。
イライラして不安になる。過敏な自分が嫌になる。
「オレが消えちゃえば死んじゃえばいいのか」と結論を出しそうになる。
 
気がついたら強烈な鬱になっていた。
1日中コタツの中にいる。耳栓をしてヘッドフォンをして。
日記を書くが文章がヒドい。そこでまた落ち込む。
テレビを観ても「こんな3流アイドルでもがんばってるんだ。
 それに比べてオレは。。。。」と自己嫌悪になる。
音楽を聴いても「オレにはこんな素晴らしい作品は書けない」と。
10時間ぐらいノートに「自分が過去についた嘘」を列記したり。
とにかく「次に安定剤や睡眠薬を飲む時間を心待ち」にしていた。
 
オレはぼんやりと「酒とライブハウスをやめよう」と想った。
それは「逃避に近い意志」だったかもしれないが「意志」であった。
「酒と日々の爆音と多くのヒトとのコミュニケーションを放棄しよう」と。
じゃあライブハウスをやめてどうするか。
やっぱり「ライトを浴びる側」になるしかない。
その「決意の証し」としてつくったのが
「21世紀最初の名曲ジェネレーションズ」だ。
 
 
続く。
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