新・最後のアジト




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新・最後のアジトact.29 「ブリキ細工の街に回りくどい遺言を」

カオルの曲に「ブリキの街」という曲がある。1980年代半ばの作品だと思う。
作曲はその当時やっていた「 WHO’S WHO 」というバンドのドラマー「リズム君」。
儚い印象のメロディーだったので儚い詩を書きたかった。

 ビルを飛び越えられずに 虹は砕け散ったよ
 四角い空の中 戸惑う小鳥たち

あの頃は今よりもよく「空」を見ていた。
そして都会の「直線ばかりの空」を苦々しく思っていた。それは現在でも変わらない。
カオルは「都会」を苦手としているが「都会」から離れることが出来ない。
カオルは都市に寄生し都市の「オコボレ」を頂戴して暮らしているのだ。

 ネオンにしがみついてる寝不足の乙女達
 スピードを競ってる原色のオトコ達

ライブのリハをひとりでしているときにふと思った。
「この『原色』というのは『派手なにーちゃん達』のイメージだったが
 『現職の』に変えてもおもしろいな。発音は同じだけど」

 スピードを競ってる現職のオトコ達

4月1日のライブは上記の注釈を喋り発音は同じだけど「現職」のつもりで唄った。
解釈は自由だ。「出世を競う」でもいいし「ナンパの素早さ」でもいい。
この曲を書いてから20年近く(!)時は流れているのだが
深夜の繁華街のストリートにしゃがみ込む少女たちの「虚ろな瞳」は変わらない。
少年たちはツバを吐き少女たちは独特のイントネーションとスラングで黄色い声を上げている。
変わったコトと言えば誰もが(たぶん)携帯電話を持ち当時よりまつ毛がきつく巻かれているコトぐらいか。

 僕らの暮らしてるブリキのような街
 100年過ぎたあと僕らのいない街

この2行はとても気に入っている。でも村上春樹さんの小説の中に「同じかんじのフレーズ」があり
「カオルまねっこしたな」と思われていそうなのがちょっとシャクである。
アナタにヒマがあったら渋谷のスクランブル交差点でこの歌詞を思いだして欲しい。
「そうか。100年過ぎたら少年も現職も小鳥たちもそしてワタシもこの世界にはいないのだな」と。

元々の2番の歌詞は下記だった。

 神様もう少し黙っていておくれよ
 この街は僕の手で燃やしてしまうから

カオルは「街の仕組み」は変わらないだろうと考えていた。
そう。ブリキ細工の街は火をつけてもたぶん燃えない。ムダな抵抗。
路上を行き交う人々は交代しても(街を彩るエキストラみたいな僕達)
この都市は人々の欲望を吸収し続けグロテスクに膨れ上がり続けるだろうと。

2003年にこの曲を再録音する機会に恵まれた。そしてこの「2番」をもう少し希望あるカタチに変えたかった。

 僕らの暮らしてるブリキのような街
 100年過ぎたあと僕らのいない街
 つかの間の街角で 僕らは愛しあう
 崩れた壁にもたれ 永遠を誓い合う

僕達は経験的に観念的に本能的に「永遠などあり得ない」コトを知っている。
だからこそベッドの中で十字架の前で滅びそうな時代の片隅で「永遠」を誓うのだろう。
だからこそ僕達は性懲りもなく恋に落ちるのであろう。ひとりきりじゃ人生は長すぎる。

100年後。
想像も出来ないが多分カオルはこの世界にいないだろう。
この唄がどこからか流れ誰かの心を揺らすコトはあるのだろうか。
なんだか「回りくどい遺言」みたいな文章になってしまったな。

おしまい。
   
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