新・最後のアジト




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新・最後のアジトact.40 「いじめられっ子にスロットマシーンのチェリーを」 

スロット屋には実に様々な「打ち方」をするヒトたちがいる。
台が壊れそうなぐらい強くボタンを叩くヒト。
チャンスの度に「儀式」のような打ち方をするヒト。
やたらにタバコを吸ったりぶつぶつ呟きながら遊戯するヒト。
まあ個性的でおもしれーなーと想う反面「生理的にダメなタイプ」のヒトが
隣に座って苦手な匂いなどがすると猛烈に不愉快な気分になる。
「こいつには負けたくない」と想いさらには「こいつボロ負けしてしまえ」と
非常にギスギスした心境になる。
そして「そいつが出して自分がボロ負け」という結果になると
なんとも情けなく無意味に八つ当たりをしそうな暴力的な気分に。

ふと想ったのだが
上記の「カオルの心境」というのは
現代社会で問題になっている「いじめ」と似たような構造ではないのだろうかと。

例えば「生理的にアイツがダメなんだ」とオレが言うとする。
すると複数のニンゲンが同様の感想を漏らすとする。
「あの人気持ち悪い」「アイツの匂いとか笑い方が嫌だ」
これが「オトナの社会」であれば「階級・立場」等も考慮され
居酒屋などで「酒の肴に愚痴る」レベルですむ場合が多いと想うのだが。
(カオルはいわゆる「オトナの社会」を知らないのだが
 ある情報によればオトナ社会にも歴然と「いじめ」は存在するとの意見も)

これが「コドモの社会」だと歯止めが利かなくなってしまうでは。
その「いじめられる側」が例えばズルをする子だったりすれば
「いじめられる側にも問題がある」という風にも考えられるのだが
「いじめられる子」の「理由」が「ムード・容姿・貧富」等だと救いようがない。
その子には罪がない。
オレが「生理的にダメ」と勝手に闘争心を燃やすそのスロット野郎も
誰かにとっては「いちばん大切なヒト・愛される対象」かもしれないのだ。

オレたちがコドモの頃も「いじめ」は存在した。
軽度ではあるけれどもオレ自身も「いじめたりいじめられたり」した。
まあ「悪ふざけの度が過ぎる」レベルだったと想っているが
「生意気だ・服装がハデだ」とかでいじめられたりもした。
逆に「凄く変な髪型」の同級生をしつこくからかって
その子のお姉さんから「弟をいじめないで」と叱られたりもした。
男子の場合(女子はわからん)ある程度の「そういうこと」は
「通過儀礼」として多少しょうがない気もする。
とにかくオレが言いたいのは
「オレたちがガキの頃にもいじめはあったが
 それが理由で『自殺』した少年少女はほとんど記憶にない」ということだ。

オレが専門学校の講師を約2年間していた。
ゴールデンウイークが過ぎる頃になると自然と「派閥・グループ」などが生徒間で出来る。
いつも一番前の席でオレの授業を録音しながらニコニコ聞いている女子がいた。
そのクラスは女子だけだったのだが他の子は後ろの方に固まり
漫画を読んだり「適当」にやっていた。
その「一番前の女子」は確かにクセのある子でなんとなく「ヤバいな」と感じた。
ある日の昼休みいつもニコニコしているその子が「相談がある」と暗い顔で。
訊いてみると「かなり複雑な家庭環境で虐待にあっている」と。
「学校でも『無視』されているのだがそんなのは慣れっこだ」と。
ただ「虐待」がかなり厳しいので逃げるところもないしどうすればいいのかと。
オレは息苦しくなり途方に暮れた。
一般的な「オトナ」の回答しか出来なかった。
「専門学校にはそういう救済措置はない。オレ自身にも無理だ。
 役所などの『相談センター』や場合によっては警察にいくしかないだろう。
 それか友達とか。あ。彼氏がいるって言ってたよな。そいつの家に避難とか。
 すまん。こんなことしか言えない」
その子は逆にオレに気を使って「充分です。ありがとうございました」と笑顔で。
しかし次の授業からその子は学校に来なくなりそれっきりだ。

ふう。

残念ながら「いじめはなくならない」とオレは想う。
そしてやはり「両親」がサインを見逃さないのが一番大事だと想うけれど
最近は鈍いバカ親も多く親が我が子をいじめてる場合もあるし。
そしてその「バカ親世代」は「カオルと同世代ぐらい」なのが情けない。

「コドモが自殺」というのは本当にひどいことだ。
「いじめに気づく・阻止」も大事だろうが
「いじめられる子の駆け込み寺・救済措置」みたいな方が必要なのでは。
と言ってカオルに「具体的な名案」がある訳じゃないのがまた情けないけど。

「みんなでなかよく」というのは素晴らしいけど「理想論」だと想う。
やはり「波長の合う者同士」が群れるしはじかれる者も出てくる。
「生理的に合わないヒト」には近寄りたくないし
「消えてしまえばいい」などと想ったりするのも残酷なニンゲンの心理だ。

「生理的に合わない・価値観の違うヒト」と同じ場所でどう暮らすか。
これは「戦争をしない」ということにもつながってくると想う。

まあオレ自身が「誰もがハローと言える場所」とか唄ってるくせに
ヒトの「好き嫌い」みたいのも激しいしな。
偉そうな能書きたれる資格なんかないのだろうけれど
最近「コドモの自殺」というのがずいぶん多いような気がしてさ。
子が親を殺したり親が子を殺したりさ。
とにかく「結論」なんて出せないけれど
「一言」いわなきゃ気がすまなかったんだ。

オマエをいじめる奴らがいる学校や会社など辞めてしまえ。
耐えることなんてない。
悲鳴を上げろ。動けるうちに逃げちまえ。
残念ながらオマエが自殺しても「ヤツら」は反省なんかしないぞ。
「反省」できる「感受性」があるならそこまでいじめたりしないはずだ。

くそ。

終わりじゃ。
   
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